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JAASアカデミー 第4期DR山本美容整形塾 番外編・タイカンボジア執刀体験・ライブ供覧ミッション 現地レポートその二

[ 2014/9/19 ]

医師団、カンボジアで美容眼瞼形成手術

 さる6月22日~25日にJAASアカデミー主催「タイ・カンボジア執刀体験とライブ供覧ミッション」(DR山本美容整形塾第4期番外編)が実施された。カンボジア・プノンペンにおける「国境を越えた美容眼瞼形成の執刀」には、12名の美容医師が挑戦したことは前号で報告した。
2回目は、ミッション団がつかの間の自由時間を得て、プノンペン市内を訪れたミッションチームの現地レポートを報告したい。




早朝バンコク国際空港でカンボジアプノンペン行きに乗り換えたミッション団は、晴天のプノンペン空港に降り立った。出口付近から上空を見あげると、紺碧の空が広がっていた。執刀に参加した医師12名そしてミッションのチームリーダー山本医師、中間医師ともに全員、プノンペンの地を初めて踏む。


負の遺産「キリングフィールズ」で、生命の尊厳と医師の使命を痛感する

その後、一行は送迎のシャトルバス2台に分乗して、キリングフィールズの慰霊塔に向かう。映画にもなったここ「The Killing Fields」(1984年制作のイギリス映画でニューヨーク・タイムズ記者としてカンボジア内戦を取材し、後にピューリッツァー賞を受賞したシドニー・シャンバーグの体験手記に基づいて制作された映画。カンボジア人助手のプランを演じた俳優ハイン・S・ニョールはカンボジア出身の医師で実際に4年の間、クメール・ルージュの元で強制労働を強いられた経験をもつことで知られる)は、プノンペン郊外にありポルポトの指揮のもと大量殺戮の犠牲になった民衆の遺骨を納める記念碑がある。
敷地には博物館が建ち、吹き荒れたクメールルージュ(カンボジア共産党)の粛清の嵐の様子が数々の写真から垣間見ることができる。
ミッション団の医師らは一様に心を痛めつつも、「生命の尊厳」に対するドクターとしての使命を改めて痛感したようだった。
思想は時として、人を狂気に走らせることは多くの歴史が教訓として証明してきたが、ポルポト将軍のみならずカンボジア人の戒めとして、いや世界中の人々の教訓として、この慰霊塔そして博物館はある。

小国カンボジアの人口約800万人のうち200万とも300万ともいわれる人々が虐殺され、徐々にではあるがその後の復興と経済成長を遂げている現代のカンボジアにあって、子どもをもつ親たちの大半が、家族、親せきに犠牲者を出していることはいうまでもない。
発展を遂げているとはいえ、プノンペンの中心街でもまだまだ道路の整備はままならず、辻辻の商店街の多くがバラック小屋というみすぼらしさだ。観光地周辺には、生活費をかせぐために観光客にトウモロコシの実を乾燥させた「鳩のエサ」を売り歩く浮浪児たちが目につく。
しかし、車窓から映るそのバラック小屋も、浮浪児たちも、スコールで泥交じりのぬかるみと水たまりをハダシで元気に走り回る少年、少女たちをみるにつけ、たくましさを感じたのは、主催者だけではないだろう。 
歴然とあるキリングフィールズの負の遺産を抱えながら、いまなお貧富の格差もある中で、民衆は微笑みと慈しみの合掌スタイルの挨拶をしながら、素朴にそして力強く毎日を生きている。


つかの間の市内観光で貧しさの中のカンボジアに活気をみた

 ジェノサイドゆえに、カンボジアは老いも若きも労働、生産人口が激減したが、いま貧しい中で、親たちは懸命に子供たちを生み、育て、未来のカンボジアを彼らに託そうとしているように思えて仕方がない。カンボジアは、日本をはじめ先進国が抱える逆三角形の人口ピラミッドとは正反対の人口動態であるといっていい。ミッション団一行は、こうしたカンボジアの未来とその発展を祈らずにはいられなかった。



執刀日前日、メコン川の彼方に沈むカンボジアの名物・夕焼けはあいにく見えなかったが、大いなる文明と文化を育んできた雄大なメコン川の流れとその水音は、我々の心の中にしっかりと染み込んでいた。

翌日の執刀体験(前号既報)の後、夜便でバンコクに向かい、ヤンヒー病院での2症例のライブ供覧をみることになる(Dr. Sukitによる鼻インプラント手術、
Dr. Vitawatによる埋没重瞼術)。
 本稿の最終回は、タイ・バンコクのヤンヒー病院での現地レポートをお届けしたい。(つづく)


(JHM121号より)

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